二宮尊徳に学ぶ世界の真理
二宮尊徳って誰?って人もいると思うのでまず説明しておくと、あの銅像になった二宮金次郎の出世した後の名前が尊徳となる。なので薪を背負って本を読んでいた人というとわかりやすいと思う。
通っていた学校が二宮尊徳の教えを重んじた学校だったので二宮尊徳の教えを結構学ぶことが出来きた。その教えの中で印象に残っているものを紹介していこうと思う。
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二宮金次郎に学ぶこと
二宮金次郎は元々金持ちだったけど洪水で家が流されて父親が亡くなってから貧乏になっておじさんのところに居候させてもらって生活することになっている。
なので仕事をしないとダメなんだけど勉強が好きだったから薪拾いの時に本を読んでいたとか。
他にも本を読むために夜、灯りをつけたかったけど油がもったいないし勉強しても農民なんだから無駄!っておじさんに叱られてもめげず、なら菜種油を自分で作ってその油で勉強するってぐらい勉強してた。
普通のこどもなら勉強するためにわざわざ働こうとか思わないが二宮金次郎は無茶苦茶本を読むのが好きだったことにより将来無茶苦茶出世して農民から武士になったのである。
勉強は楽しいものだと思って自ら積極的に学ぶと自然と出世するのかもしれない。
1円融合の精神こそが経済に必要
1円というのは一つの円環のことであり、ただのお金の話ではない。
お金は誰かに支払えばその人がまた誰かに支払うものであり、最終的に回り回って自分に帰ってくるものだというのが一円融合という考え方。
だから自分がお金を使わない限り自分に入ってくる金も無くなってしまう。
この一円融合はいつの時代に置いても常に正しい考え方と言えるだろう。
金持ちが金を独占してしまえば庶民にお金が回っていくことがなく、経済が止まってしまいお金持ちの収入も減っていき結局はお金が減っていくことになる。金は使ってこそ生きると言える。
お金だけでなく、全てのことにこの一円融合という精神は使えて誰かのために親切にしたことは巡り巡って自分の元へ返ってくる。情けは人のためならずということわざにも通じるものがある。
年年歳歳は人間の生き方のあり方
年年歳歳という言葉があるのだがこれは来年の収穫のために種を蒔く事を言う。
来年の収穫のためには収穫した穀物の種を取っておいて春に撒く必要がある。春に種を蒔いても夏に水害で駄目になってしまう可能性もあるし、野生動物に荒らされて収穫できないかもしれない。
それでも種をまかなければ来年食べるものが無くなり飢えてしまうだろう。
これは未来のための投資についてのことと考えることが出来る。
なぜ投資が必要なのか?それは今の仕事がいつダメになっても良いように繋ぐためだと言える。
最近読んだ「チ。地球の運動について」でも同じような内容が書かれているが未来のために繋いだ結果、大きな事に繋がっている。
種を撒き続けるという行動が続かなければ人類は滅んでしまうのである。
どこかで聞いた話に上手く仕事が回っている時にする社長の仕事は何か?の答えは次のビジネスを考えることだとのこと。
いずれそのビジネスが上手く行かなくなった時に次のビジネスの種が育っていれば会社は存続することが出来るだろう。
それを怠り種を蒔かなかった会社は倒産してしまうことになる。
富士フィルムがフィルムカメラの時代の終わりを見据え、化粧品ビジネスの種を蒔いていなければ今頃完全に終わっていただろう。
今、たくさん食料が有ったとしても将来の為に種を蒔かなければいずれ飢えることになる。それを避けるために黙々と種を撒き続ける。それが年年歳歳である。
最近話題になっているSDGsも同じ考え方であり、江戸時代に既に二宮尊徳氏は年年歳歳という言葉でSDGsを語っていたということになる。
まとめ
他にも報徳講話の授業では多くのことを教えらえたが今でも心に強く残っており、自分も実践しているのは上記である。
二宮尊徳氏の功績としては有名なところに酒匂川の氾濫の被害で自分の家が潰れてしまったことから今後の被害を減らすため、堤防を強化するために松の木を植えたりしている。
他には初夏に食ったナスの味が秋ナスの味に近かったことから冷夏を予想し、飢饉に強い雑穀を作らせて見事天保の大飢饉で藩の餓死者を出さずに済んだ上、近隣の藩の為に食料を融通したという逸話。
これに関してはほんまかいな?と思うが実際に全国で100万人以上の餓死者を出した飢饉を乗り切っているのは事実として残っている。
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