貧乏人でも勝ち組の時代は今だけだろう
前回、貧乏人ほど得をする時代だという記事を書きました。
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技術の進歩のおかげで貧乏人ほど得をするようになった
こんにちは、貧乏人の皆様。 かくいう私も貧乏人でございまして日頃からスーパーへ行ってはもやしを大量に買ってきてもやし炒めを作り続けております。おかげでもやし炒めに関しましては抜群の味を生み出すことが出来るようになりました […]
今回はその続きを書いていこうと思います。
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現代はまさにローマ時代
今の日本は働かなくても生きていく事ができます。生活保護がセーフティネットとして存在しており、すべての国民は最低限度の文化的な生活を保証されます。
生活保護をもらわないまでも今の時代お金を稼ぐ方法はいくらでもあり、その気になれば好きなことだけやって生きていくことは誰にでも可能です。
例えば限界集落でニートをしている人もいますし、レンタルなんにもしない人みたいな商売が成り立っているわけです。
私のようなブロガーやユーチューバーなどもその気になればその収入だけで生活できるという人はいくらでもいます。
一部の大成功した人間以外、好きなことだけやって生きていく人の収入はそれほど多くはないでしょう。とある調査ではフリーランスの平均年収は300万円以下とされています。
https://moneyzine.jp/article/detail/216309
私ももちろん貧乏人の中のひとりで毎日もやし炒めとご飯もしくはパスタ、袋麺で生きています。
こんな貧乏人でもなぜ特に貧乏を嘆くこと無く生きていけるのか?ですが、これに関しては現代がローマ時代に近くなっているからだと考察されます。
ローマ時代、人々は労働から開放され、演劇やコロッセオでのバトルを楽しみ、哲学などの学問が発展しました。
なぜローマ人が労働から開放されたのか?というと戦争で奴隷を大量に補充したことで労働は全て奴隷が行うようになったからです。
食べ物の生産や建築、工事など全て奴隷が行うことで市民は働かずに飯を食うことが出来るようになったわけです。
現代の日本がこのローマに近くなっていると言うのは日本人の食べ物は輸入が多くなり、自分で畑を耕す労働から開放されています。畑を耕すのもトラクターであり、機械です。
人間は機械という奴隷の代わりによって労働から開放されたのです。
更に、その機械を扱うのも日本人ではなく、賃金の非常に安い東南アジアの人々だったりします。
我々が今着ている服、スニーカーなどメイドインベトナムが非常に多くなっています。それは日本人の賃金の10分の1の賃金で働いてくれるから人件費削減のためにベトナムで作っているからです。
昔は戦争で奴隷を捕まえ、貴族はそんな奴隷を商人から買っていたわけですが今は資本主義というシステムにより、戦争をすること無く海外から奴隷の労働力を安い賃金で購入していると言えます。
この状態は安い労働力を提供してくれる発展途上国が存在するから成り立っているわけであり、発展途上国が先進国入りすればそんな安い賃金で働いてくれる人は居なくなります。
恐らくベトナムの賃金もあと10年程度で5倍ぐらいになり安いとは言えなくなってくるでしょう。
今の中国がまさにその状態で中国で生産してもそれほどコストパフォーマンスが良くないということでどんどんベトナムやカンボジアなどの発展途上国へ工場が移りつつあります。
東南アジアが安くなくなれば次はアフリカだと言われており、それを見据えて中国はアフリカにものすごい額の投資をすでに行っています。
まとめ
もう理解できたでしょうが、今の時代はまだ発展途上国が世界中に有り、一日100円で生活している人が何億人もいるため安い労働力を奴隷として使い、先進国の人間はブルジョワとも言える状態でのうのうとその国の底辺レベルでも生きていくことが出来ています。
今後20年30年経った時、発展途上国に工場が立ち並び、人々の年収は何倍にもなるでしょう。
そうなればもはや先進国との賃金格差はなくなり今のような価格で食べ物を買うことができなくなり、全てのものが値上がりしていくことでしょう。
恐らくまだアフリカ全体が経済発展するまでには50年はあると思うので我々の世代までは、日本の貧乏人でもこのブルジョワな状態を謳歌することが出来るでしょうがその後日本を生きるのはかなり厳しい状態になるのではないかと思われます。
格差が今よりも圧倒的に広がり、生活保護などが破綻する可能性があります。南アフリカ並みの格差社会になる可能性すら感じます。
それを考えると、今の時代に日本という国で貧乏人として生まれたことに感謝せざるを得ません。
アナザーエンド
2070年、全ての国の経済レベルが上がり、すべての国に1次産業、2次産業、3次産業が整った結果、世界の人々の賃金格差が全くなくなったとします。
その結果、世界の貧乏人はどうなるのか?ですが、全ての人が幸せである可能性があります。それは技術革新が加速し、この50年でAI搭載ロボットが非常に安く大量に生産できるようになっている可能性があるからです。
人形ロボットまでは行きませんが、工場を24時間動かし続け、修理や原材料の補充など全てオートメーション化出来るようになり人が工場で働く必要がなくなります。
すべての産業でロボットが普及すればロボットがローマ時代の奴隷の代わりとなり、人間は労働から完全に開放されるでしょう。
ただし、人間は労働を楽しみとしている人も多く、芸術など自己実現のために働く人は今と変わらず多くいるでしょう。
私が働いていた就労継続支援A型施設でも障害者年金で一切働く必要のない人がたくさん毎日来所して人間がやる仕事とも思えないようなタオルを折りたたんでパッケージに入れるという作業を延々と行っていました。
そんな仕事でも働ける喜びを感じ、毎日帰って飲むビールが美味いんだって言っている人がいました。
50年後、基本的な労働はほぼロボットが行うようになりますが、人間の労働への欲求というものはなくなることがなく、奴隷のような労働に喜びを感じ毎日穴を掘って埋め戻すような仕事をする人は居続けるでしょう。人間が存在する限り、労働というものは必要とされ続けると思います。
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