若くしてセミリタイアしてみた結果…
30歳になった時に仕事が忙しすぎて全然自分のやりたいことが出来ていないことに気づいて自分のやりたいことだけやる人生にしようとセミリタイアした。
それから3年間ブロガーというとにかく自由しか無いような仕事を続けてきた。
ブロガーなんてものは夜はいつまで起きて作業していてもいいし、朝は昼間で寝ていても別に誰も何も言わない。仕事中にユーチューブを見続けてもいいし、なんなら外に遊びに行ってもいい。全ては自分のさじ加減次第なのである。
ただ、こんなセミリタイア生活を続けてきて思った若い人間がセミリタイア生活をしないほうがいい理由を書いてみたい。
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成長がない
成長というのは基本的に辛いことをすることで起こる。
アスリートが一生懸命ランニングしたりウェイトトレーニングしたり毎日繰り返しているがこれはしんどい。筋繊維が破壊され超回復して筋肉が増える。必死でトレーニングしないと筋肉が増えることはない。
これはどんなことにも言えることで成長するためにはなんでもしんどいことをしないとダメなのだ。
なのにセミリタイア生活してしまうと自由なのでわざわざしんどい事を自分からする気にならない。コーチとか上司がいればメニュー作りとか指示とかをしてくれるが、自分一人では普通やりたいことだけしかやらない。
やりたいことしかしないからこれをやれば成長するというようなこともしんどいという理由で避けてしまい何年も成長しない。
成長しないということはどういうことかというと周りの成長している人間から取り残されてしまうということだ。
あの有名なYouTuberのヒカキン氏が「現状維持は周りの人が成長していると退化になる」ということを言っていた。自分以外の人たちが頑張っている時に自分だけ怠けて現状維持に甘んじていたらそれは相対的に見て退化なのである。成長しなければ退化し続け滅びる。
これが定年退職後の高齢者なら退化してもいいが若いうちにセミリタイアして退化し続ければ早死につながると感じる。
話のネタが無くなる
自分の周りの人間は当然だがみんな働いている。
昔からの友人とか元同僚とかとたまに飲みに行っても仕事の話が多くなる。私のようにユーチューブばっかり見てどのYouTuberがどんな動画上げていたという話題で話せる人間は私しかいない。
みんなは殆どの時間働いているので仕事のクライアントがどうのこうのとか出世したとかそんなような話ばかりになる。
こういうのに合わせていくと話が昔のネタばっかりになる。昔こういうクライアントがいた、こういう仕事した時どうだったとか気づくと同じネタをこすりまくってることに気づく…。
どんどん同じ話するつまらんおっさんになっていくのである。あなたの周りにもそんな人はいないだろうか?飲みに行くたびに昔の武勇伝を何回も語りだすつまらんおっさんは?
ブログのネタにしても気づくと同じ話を書いている時がある。ブログをずっと購読してくれている人なら気づく人もいるかもしれない。これよく考えたら一度書いたことなかったっけ?と思い、検索してみたらほぼ同じ内容で1年前に書いてた・・・ということがあった。
ブロガーとしてひたすらブログばかり書いているとネタが出てこず、同じネタを使ってリメイクしてしまうようなことになってくるのである・・・。
ドーパミンが出ない
ドーパミンという脳内伝達物質の一つは快楽を与えてくれる物質なのであるが、この物質は運動している時や何か行動を起こしている時に分泌される物質と言われている。
なので何も行動しないただただ楽をしているセミリタイア状態ではまずドーパミンが出ることがなく、なんの達成感も快楽も発生しない状態になる危険性がある。
これがなぜいけないのか?というとドーパミンが欠乏すると統合失調症のような精神病になる可能性もあると言われているのだ。
セミリタイア状態になるとドーパミンが不足して人生に快楽が無くなり、統合失調症のような精神病になるかもしれないわけである。
私も何もせずにただひたすら漫画喫茶に1ヶ月ほど通った事があるが最終的に虚無に陥り、最終的に漫画が全く面白くなくなったのである。ドーパミンが出ないということはとても危険なことだと言えるだろう。
セミリタイアは幸せじゃない
これが一番大きいと思う。
幸せって何なのか?ということから説明したいのだが幸せというのは金を稼ぐ事でもなければ旨いものを食うことでもない。
幸せというのは何かというと誰かと喜びを共有できることなのである。
幸せは自己完結しないとも言える。自分の周りの人間が苦しんでいるのに自分だけ幸せというのはありえないのだ。
株やFXで大金を稼いだ!その瞬間は確かにうれしいかも知れないが時間が経てば喜びは消え、大金は持っているが虚しさしか無い状態になる。
私もブログで去年かなり稼いでパソコンを新しくしたり、車を買ったり、椅子を高級チェアにしたりした。その結果今幸せかというと全く幸せを感じていない。車に乗っても隣に乗る人はおらずどこへ行っても虚しいだけである。
もしもベントレーやジャガーのような高級車を購入しても隣に乗せる人がいなければ軽自動車に5人乗って(違法です!)旅行にいくような貧乏家族よりも圧倒的に不幸かもしれない。
一泊数十万円の高級リゾートホテルに一人で泊まって高級なディナーを食って幸せか?
最初のうちは幸せなように感じるかもしれないが本当に最初のうちだけだ。
私も色々なところに旅行に行きたいと思って、実際に北海道や沖縄へ行ったりしたが会社員の頃仲間と車借りて那須とかに貸別荘借りて遊びに行っていたあの頃のほうが圧倒的に幸せだったと感じる。
そして、どんなことにも慣れと言うものがあり、奴隷のように働かされていた時には一日休みがあるだけでもとても嬉しかったが一週間まるまま休みで一年まるごと休みになったら休みが当たり前になる。
幸せというものも同じで幸せの形とされている結婚も今や3組に1組が離婚している。それは結婚が幸せの形だったはずなのに実際に結婚生活をするうちにその状態が当たり前になるからというのが大きい。
なんだってそうなのだが希少だからこそ価値があり、ありふれているものなら価値を感じることが出来ない。
会社員という週5日働かなければならない生活だから週に2日の休みが貴重であり輝いていたわけであり、それが毎日になると価値を見出すことが出来なくなりただの当たり前になってしまうのだ。
セミリタイアは働かないでやりたいことをやって生きていくことを指すと思うのだがやりたいことがなく、ただ働きたくないという理由でセミリタイアをしてしまうとこの休みが当たり前の毎日の中でどこにも幸せを見出すことが出来なくなり、ただただ虚無の毎日を繰り返すだけとなる。
3年以上リタイア生活をおくって感じたことまとめ
俺は色々したいことがあるから会社員なんてやってる暇はない!と調子こいて会社を辞めてやりたかったことをやりまくった。平日のすいてる時に国内旅行しまくったり、深夜バスで東京行ったり博多行ったり青春18切符で色々回ったり・・・。
ユーチューブも朝から晩までひたすら見てるときとかあった。見たかったアニメとかドラマとかも一気に見たりした。
そして3年経つともうすることが何一つ残っていないし、何をやっても虚無感しかない。毎日ゲーセン行っても競艇行ってみても健康ランド行ってみても何しても虚無なのだ。
働いていた頃はたまに若手メンバーで飲みに行ったり旅行行ったりそういうのが本当に楽しかった。仕事でも自分でも納得の行く仕事を仕上げて飲みに行ってあのサイト俺がディレクションしたんだよとかこのアーティスト使ってる商品のサイト俺がコーディングしてんだよとかそういう話をドヤ顔で語れた。
それが今では過去の仕事の話を未だにしている痛いやつだよ。最近した仕事がもう3年も前の話になっている。
若いうちにセミリタイアしたいならしてもいいと思う。本当に仕事以外でやりたいことが存在してそれが自分の成長につながり、周りの人が笑顔になってその笑顔を見て幸せを感じることが出来るならやればいい。
ただ、明確な目的もなくただマンガ読みたいとかYouTube見たいとかゲームしたいとかだと最終的に俺のような虚無感しか感じない人間になってしまうだろう。
若くしてセミリタイアしたプロニートのphaさんという有名人が居るがあの人は本を書いて何冊も出版しているし、ギークハウスというシェアハウスをいくつも作るなどして回りにいる人を幸せにしている。こういう行動的な人間ならセミリタイアしてもその生活を続けることが出来るかもしれない。
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