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東日本大震災があったから今の自分がいる

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今日は3.11の日なのであの時の思い出を少し書こうと思う。

徹夜明けだった3.11

あの頃27歳だった私はシステム開発の会社の正社員でポジション的に下っ端で炎上案件の手伝い要員ばかりやっていた。

3.11があった日も某独立行政法人の案件が炎上しており、ちょうど金曜日締め切りに間に合わすために木曜日から泊まり込んで仕事をしていた。睡眠時間ゼロでかなりハイな状態だったのを覚えている。

地震が来た時はデータが消えたら最悪という考えしか無く、机の上にあったパソコンをとにかく守っていたのを覚えている。

電車が止まりみんなは帰れないとか言っていたが私はその3日前に小田急線が止まった時にチャリで会社に来ていて偶然チャリで帰宅できた。チャリで1時間ちょいかかる場所だったので歩いて帰ると3時間以上はかかっただろう。

そして家でテレビを見て津波で多くの被害が出ている事を知る。

福島では鉄壁の予備システムがあるはずの原発が爆発していた。放射能は撒き散らかされ、メルトダウンで海に放射性物質が流れ出し、関東地方にも放射能が降り注いだ。

本当に世界が終わるぐらいひどい状況だった。

スーパーからはパンや納豆がなくなり、カップ麺や乾電池なども消えた。電車は電力削減のために昼間消灯しているのでトンネルに入ると真っ暗になったりした。電力不足に陥り、輪番停電で街から明かりが消えたりもした。

本当にあの時、関東地方は凄まじい状態だった。

その半年後、会社をやめた

システム開発の仕事に関しては別にやりたい仕事でもなかったけどプログラミング知っといたほうが後々為になるかなと思って入った会社だったので命の危機を感じた時、この会社で死んだら後悔しかないという気持ちになり、辞めたのだった。

3年ほどいたので一応ためになることは学べたと思っている。今の自分があるのはあの会社でたらふく炎上案件の火消し役という泥水を飲んだからだと思っている。

結局人生自分のやりたいことをやれたら幸せ

はっきり言って今の自分はやりたいことをやれているし、やりたいことをしてこれた。

システム開発の会社をやめてからは半年フラフラした後、違う会社で2年ほど働いてフリーランスと言う名の無職になり、3年ほど自営業という肩書の元、ブロガーみたいな感じでフラフラしていた。

毎日釣りだけしてる生活がしたいとか、日本全国の競馬場を回ってみたいとか、車買ってあっちこっちドライブしてみたいとかそういうやりたいことは全部できた。

今も景色のいい部屋に一人暮らしをしながら派遣社員で毎日定時に上がって難波周辺の飲み屋を飲み歩いている。とても幸せである。

確かに年収で考えればあのままシステム開発の会社で働いていたほうが今より多くの給料をもらっていた可能性は高いだろう。

ただ、あのシステム開発会社で働き続けていた場合、俺は今と比べて幸せだったのか?と考えると今の方が圧倒的に幸せだと思う。

毎日クライアントの無理難題を抱え込み、日々炎上案件をこなし、先輩社員の口癖は「俺いつまでこんな仕事続けられるんだろうな」だった。40歳超えても泊まり込みの生活が続いてその先輩は糖尿病で入院した。

出世するためには喫煙所へ通い、社長と密室でやり取りをしなければならないようなワンマン企業。毎晩のように社長に飲みに連れ回される社員もいた。

俺には到底無理な生き方である。

震災という命の危機が人生を変える

本当にあの地震は私の人生を大きく変えてくれた転機と言ってもいいものとなった。

人間、死ぬか生きるかの瀬戸際に立った時、生きる意味というやつを考え直すことになる。人生は楽しむためにあるのになぜ嫌な思いを続けてまで金の奴隷になり続けなければならないのか?

私にとってやりたいことを我慢して生きるのを止めるきっかけが東日本大震災だった。

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