幸せについて考えてみた結果

幸せについて考えてみた結果
最近幸せって何なんだろうということばかり考えている。3年前に社畜を辞めて自営業になることでほぼ完全なる自由を手に入れて幸せになったはずなのに最近全く幸せだと感じなくなっているからだ。

そんな幸せを釈迦が悟りを開いたように私もひたすらその答えを求め続けている日々なのだがなんとなく見えてきたものがあるのでちょっと書いとく。

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幸せが連続するとそれはもう平常

もしも夢がかなって幸せになれたとする。例えば歌手になれたとかハワイでサーファーになれたとか大金持ちの社長になれたとか。

その状態になった瞬間は確かに幸福であると思う。車好きからすれば長年の夢であったロールスロイスのファントムを購入し、ドライブする一時はおそらく最高の幸せだろうと思う。ただ、毎日ロールスロイスのファントムに乗って街をドライブすると確実にどんどん嫌になってくると感じる。

あの巨体を維持するためにはそれなりのガソリンが必要だから頻繁にガソリンスタンドへ行かなければならないし、あの巨体で路地には入れない。駐車場に止める時も確実に取り回しが難しいし、立体駐車場ならサイズ的に止めることができない場合があるだろう。

一時なら幸せを感じるかもしれないが何年も運転し続けるとなるとただの日常であり、それが幸せなのかというとそうでもなくなるものなのだ。

ハワイに住んで毎日サーフィンをする日々も外から見ているとかっこよくて理想の暮らしのように見えるがそれを毎日している人が幸せなのかというとただの日常であり、特に幸せと感じていないものだと思う。

私もブロガーになったことで自由を手に入れ、毎日漫画喫茶へ行っていた時がある。「マンガが大好きだから毎日マンガ喫茶へ行ってマンガを読む生活って一生幸せなんだろうなぁ。一生かかっても読み尽くせないほどマンガはあるから絶対楽しい」と思っていた。

しかし、毎日7時間パックで1000円払ってマンガを読みまくる生活を2ヶ月も送っているとマンガを読むのが辛くなってしまった・・・。あんなにマンガが好きだったのに毎日読んでいるとしんどいのである。

最初の頃はキングダム最高!とかハンターハンター面白すぎる!とか思ってたけどもう2ヶ月も経つとそんなに最高のマンガは無くて惰性でこち亀読み続けるようになってくる。

幸せな状態も長く続けるとそれが日常に成り下がり、下手するとその状態がしんどくなるのだ。

不幸も連続すればただの日常

芥川龍之介の言葉にこういう言葉がある「この世は地獄よりも地獄らしい」というものだ。この言葉の意味は地獄は毎日苦しく辛いため、それに慣れてしまいもはや特に何も感じない普通の状態になるのだが、この世では幸せな状態と不幸のどん底があるのでその落差が大きく受けるダメージは地獄にいるよりもこの世にいる方がより大きいということだ。

この言葉を聞いてなるほどと感じた。不幸もずっとその状態になればそれはただの日常であり特に何も感じなくなってくるわけである。貧乏で日々暮らすのがやっとで毎日ご飯を食べることができなくても慣れてしまえばそれほど辛くなくなる。公園で寝るホームレスも慣れてしまっているので救済団体の施設で屋根のある部屋を用意してもホームレスに戻る人が多いという。

どんなことでも人間は慣れてしまうということである。

幸せになりたいなら非日常を楽しめ

結局どんなことにでも慣れてしまうのが人間という生き物であるわけなので幸せになりたいなら常に新しいことにチャレンジして非日常を作り出すことが幸せを感じるために必要なことだと思う。

毎日奴隷のように働いて就業時間後の僅かな時間、マンガを読むことでその時間がとても幸福なものになる。

毎日コンクリートジャングルで働く生活を繰り返して一年に一度ハワイ旅行をするからハワイが輝いて見える。

幸せになるにはどうすればいいのか考えてみた結果まとめ

毎日がマイナス5の状態でそれが0になった時、プラス5の状態を楽しむことができる。逆にプラス5で生きている人間は0になると不幸のどん底に感じてしまうものだと私は悟った。

夢を叶えてプラス100になったのなら、次はプラス200を目指さなければ幸せにはなれなくなる。常に上を目指し登り続けて行くことで幸せを感じ続けることができるだろう。

逆に考えると常に不幸な状態を作り出せば普通の人にしてみればそれって普通じゃね?ってことで大きな幸福を味わうことができるということになる。

例えば冬でもずっと半袖しか着ないでいればユニクロのフリースを着た瞬間幸せを感じるだろうし、常にお腹をすかせていれば売れ残りの半額弁当を食べるだけで涙があふれるほど幸せを感じるだろう。

上昇志向の人は終わりなき幸せと言う名の登山を続け、日本の100名山を登ったあとは世界の山を登るような頂点を求め続ければいいと思う。

私のような下流志向の小さな幸せを発見したい人間は毎日泥水を飲むような傍から見ればなんでそんなことするの?って思うようなミニマリスト的な生活を送ることで非日常のハードルを極限まで低くして気軽に幸せを感じる生活を送ると良いと思う。

多分前者と後者では世間的には天と地ほどの差が有るものの感じている幸せの数で言うと後者の方が多くなるはずだ。他人の目を気にしなければ幸せになるチャンスはいくらでもある

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