立場によって意味が変わる言葉

土下座
この世界にはその人の立場によって全然意味が変わってくる言葉がたくさんあると思う。ちょっと思いつくものを書いてみる。

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お客様は神様です

この言葉はお店の人が言うとお客様を大事に扱わなきゃダメだという意味になるけどお客の立場で使うと自分は神様なんだからもてなされて当然という意味になってしまう。

わかるかなぁー、元々この言葉は経営者がお客様を神様だと思ってもてなしたら売上が上がって経営がうまくいくよって意味で作った言葉なのに客側が使っちゃうとただの馬鹿になってしまうことが。

言い換えるなら政治家をおだてる人間が「先生」って言っているのを真に受けて政治家が「キミ!先生と呼びたまえ!」って言っちゃうのと同じなんだよね。

おだてられて調子に乗る奴ってバカじゃん?

子供のやったことですから

これに関しても立場の重要性がかなり大きい。

どこかの子供が暴れまわった結果、何かを汚してしまったり何かを傷つけてしまった時に「被害を負った側」が使う言葉であって「子供の保護者」が使う言葉ではない。

被害を受けたけど分別のつかない子供のやったことなので許してあげましょうという寛大な人が使う言葉

間違っても自分の子供が人様に迷惑をかけているのに見て見ぬふりをして最終的に誰かに咎められた時に開き直って口走る言葉ではない。

こんなことをいう親がいたら寛大な心を持っている人ですら助走つけて殴るレベルだよ。

運が良かっただけですよ

成功者にインタビューしていて度々聞かれるこの「運が良かっただけ」という言葉。これに関しても【成功者】の立場だからこそ言える言葉なのであって、成功もしていない貧乏な人間がその言葉の意味をそのまま受け取っていい言葉ではないということ。

成功した人は当たり前のように何百回も失敗を重ね、必死で改善の努力をして勉強し何年も何年も下積み生活を乗り越えて成功している。

この下積みは「当たり前」のことであってこの下積みを積んでいる周りの数多くの人々が成功できなかったけど自分は「運が良かった」から成功できたという意味なのである。

必死で命削って戦って努力して地面を這いつくばって下げたくない頭も下げて涙も枯れて目から血を流すような思いをしても成功できない人がいる。

そんな周りの人々を見てきた人だから軽々しく努力したとか頑張ったからとか言う言葉は使えない

自分よりも努力した人はいくらでもいるのを知っているから。そんな現実を見てきて自分が成功できたのは「運」だと言うしかないわけだ。

努力したわけでも頑張ったわけでもないような人間が言葉の通り受け取るというのは愚の骨頂。そんな奴は運がどれだけ強くても一生成功なんて出来るはずがない。

立場によって意味の異なる言葉まとめ

他にも多分色々立場によって意味の異なる言葉はたくさんあると思う。その言葉の意味の裏側を考えてみるとまた違った世界が見えてくるかもしれない。

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