10月になった!40歳ハピバ!

10月ということでとうとう誕生日がやってきて40歳という節目の歳になった。

昔考えていた40歳はおっさんであり、途方もなく年寄りのイメージだったのだが40歳になってみて感じるのはずっと学生の延長でしかないということであろう。

今感じる40歳というのはただ人生経験が溜まった22歳と言う感じであり、年老いたとは全く思わない。

あのお笑いコンビの錦鯉がおじさんになってもM-1チャンピオンを目指して頑張ってきたのはどんなに年を取っても魂は年を取らないと松本人志が言っていたのを聞いたからだった。

確かに今40歳になって思うのはマジで魂は歳を取らないというのは本当だなと思う。

周りの人間を見ても40歳になっても馬鹿みたいなやつはずっと馬鹿で全然歳を取ってないように感じる。

一応家族が出来て子供とかがいるとなんかだいぶ疲れた感じになって歳取ってそうだなって見た目にはなってるけど、飲み会になると全然学生の頃と変わっていない…。流石にいい加減酒の飲み方ぐらい若い頃と変わってくれて結構なんだが…。

ということで40歳になったからどうとかの概念はまず意味を成さないのでとりあえず年齢はただの数字っとことで今後も馬鹿みたいなことやなんか面白そうなことを全力で楽しんでいこうと思う。

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40年をまとめてみよう

今後の目標とかの前に、これまでの歴史を振り返ってみようと思う。

1983年10月生まれる。

東京ディズニーランドと同じ年に生まれたことで節目の年は必ずなんかイベントやってて自分の歳がわかりやすい。今年ディズニーランドは40周年なんだね。

5歳までにモテ期を消耗。
小さい頃はかわいかったと言われ続ける。ピークが早すぎると何も感じないままモテ期が終わってしまうのである。

小学校は変な奴で終わる。

小学校は基本的に坊主で冬でも裸足という今考えると何だそれって格好をして過ごした事により、ずっと変なガキで終わる。むちゃくちゃ喧嘩っ早くて割りと職員室に呼び出されていたような気がする。

中学校は釣りしてた。

近所の公立中学が学力が低すぎるということで私立の男子校に行かされた。
釣りブームが来て中学校は基本的に常に釣りをしていたような気がする。足腰を鍛えといて損はないと陸上部とか入ってみたけど別に走るのが好きではなかったのであまりにも厳しい山道練習とか毎日5キロ走るとかが辛すぎて面倒になって他の部員と温度差の違いにしんどくなったのですぐやめる。見切りが早いのはこの頃からか。

高校生も普通に生きていた。

中学からエスカレーター式で高校へ通い、特進コースに入って勉強して、学校の帰りにファミコンショップでゲーム見たりアイドルのCD買ったり、普通すぎる高校生活を送って大学受験。
何故かとんでもなく地理の成績が良くて、地理で入れる大学無いかな?と探した結果、東京ならあるわってことで受験して合格。
今考えるとよく親はこんな志望動機でなんとなく合格した別に関西で名前が知れたわけでもない大学に行かせたもんだよな。
この頃やっとうちの親って金めちゃくちゃ持ってるやんって気づいた。

大学生は普通にエンジョイ

関西から東京に出てきて大丈夫なのか?って若干思ったけど割りと大丈夫っぽかった。

とりあえず適当に真面目そうなやつと仲良くなれば勉強教えてもらえて卒業できそうとか思ってすぐに真面目そうなグループ入り。過去問もらえるし勉強教えてもらえるし代返頼めるしすごい楽に学生を過ごせた。

サークルも2つ掛け持ちしてみんなで山登り行ったり、御前崎行ったりなんかめちゃくちゃ楽しんだ気がする。マジで大学が人生で一番楽しかった。
学科は環境問題に関することだったけど就職は釣りが好きだったので釣具屋へ!

20代は地獄から天国まで味わう

ネクタイしめてオフィスに向かう仕事だけはやるまいと小さな頃から思い続け、天職とも思える釣具屋へ就職したが半年で退職。

なぜか?理不尽な店長となんか普通にムカつく先輩が人事異動で入ってきたことにより、マジで毎日の仕事がストレスでしか無くなったからだった。あと、別にこの仕事辞めても30歳でも40歳でもいくらでもやれるわって気づいたのも大きい。20代前半という人生で一番勉強できる時期にこんな仕事してたら勿体ねえなって心底思えたのですぐ辞めた。

職業訓練してウェブデザイナーになって仕事開始!ただ、社内ウェブデザイナーが自分一人という寂しさから1年ちょっとで転職。そんなに悪くない環境ではあったけど派遣社員ってことで月給クソ安くて生活が苦しかったので転職して正解(17時に会社が終わるせいでその後パチンコで金をすり減らしていたのが苦しさの主な原因…)だった。

この頃はフットワーク軽く色んな人について行っていたので色々経験できて楽しかった。那須に旅行に行ったりオカマバー行ってみたり、自宅スタジオで動画撮影とか。東京って色んな人がいるしいろんな経験できてマジでいいよね。

仕事はマジで24歳から地獄。20日連続出勤で平日は椅子で寝る生活を送るなど過労にもほどがある環境。普段から23時ぐらいまで会社に社員全員揃っているような気持ち悪い長時間労働で先輩社員も糖尿で倒れるし、上司は全く会社に来なくなるし大丈夫かよって感じ続けていたので3年で辞める。
この会社の先輩に東京競馬場へ連れて行ってもらったことをきっかけに競馬大好き人間になる。

28歳からは六本木のウェブ制作会社でディレクターやるもここも意味分からないようなハードワークブラック企業であり、利益を雇われ社長がキャバクラで全部使うとかしてたので2年で辞めた。

ということで20代は勉強の時代とはよく言ったもので、本当に地獄も天国も全部味わった気がする。

30代は自営業と言う名の自由な働き方へ

20代からコツコツ作っていたブログやサイトの広告収入が増え、30歳でラットレースを抜け出し、ブログ収入という不労所得で自由を手に入れることができた。
ブログを書きながら遊びに行って日本中旅行して、車買ってドライブして変な時間に起きて変な時間に寝るような生活を3年もしていたらこんな人間として終わった生活を続けても何も面白くねえ!って状態になる。
1ヶ月連続マンガ喫茶で7時間パック朝から晩までとかやりたいことやりすぎたせいで何も楽しく感じなくなってしまった…。
やっぱり凍えそうな思いをして入る温泉が気持ちいいのであって、常夏のハワイで温泉入ってもそんなに何も感じないんよね…。
ってことで34歳の後半にして労働という苦しみを味わって酒を飲むという温度差を手に入れるために派遣社員を始めた。
仕事ってのはかなり色々な刺激をくれるもので自営業という自由で脳みそがふにゃふにゃだったのがしゃきっと固まった感じがしたね。

その後色々あって37歳から今の上司に出会い、週4日労働で人間として理想的な労働環境を続けている。

今後の生き方

私はホリエモンの言っていた「家を買わずに、車を持たず、嫁・子供を持たなければ人生で2億円浮く計算になる」ということを聞いてなるほど、そうすれば生涯賃金2億円少なくても別に余裕で生活できるんだなと気づき、労働時間をできるだけ削る方へシフトした。

30代後半になってからは特に欲しい物もなくなり、欲しくても10万円ぐらいのものなら躊躇なくカードを使って買えるぐらいの経済力は出来ており、労働を減らす方へシフトしたのは正解だと思う。

今後の目標としてはとりあえずここ10年の目標である100万馬券を当ててJRAの帯付きの札束を受け取るというのがあるがこれを叶えてしまうと夢がなくなるので基本的に年に2回ぐらいしかそんな払い戻しになるような馬券を狙わない。

他はなんか面白いことを見つけてブログで発信して伝えていく活動を続けていけたらなぁとは思っている。近所に出来たうまい居酒屋とか。

まぁとりあえずフラフラ飲み歩いて色んな人と遊んでいればまたやりたいことが見つかったりすると思うのでフットワーク軽く健康に気をつけて生きていこうと思う。

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