宗教からオンラインサロンへ移行し始めている

今、欧米では宗教離れが加速しているらしい。

日本では元々それほど宗教に熱心な人が多くはなかったがそれなりに宗教は存在意義を示していた。

ただ、日本の宗教信者も2020年代になってオンラインサロンへ流れていると感じる。

今回はそんな宗教について書いてみる。

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昔は宗教が必要だった

昔、どこの国でも宗教が頂点にあるのが当たり前で、宗教を中心に人間の社会が動いていた。

何故か?それは科学が発展していなかったから。

今はかなり多くの病気が科学的に解明されて多くの病気が薬で治る様になっている。

昔はどうだったか?というと季節性インフルエンザにしろ、ペストにしろ、天然痘にしろ、結核にしろ原因がよくわからず不治の病とされていた。

治療法は「神に祈る」が主なものであったのでどれだけ神を信じて祈るかが重要だったと言える。

南米でも飢饉が起こるたびに子供を生贄として神に捧げるなど今では考えられないようなことを行っていた。

より過酷なことをして神への祈りを行うことこそが天国に行ける道と考える人達が山のてっぺんに教会を作って不便な生活をしたりした跡が今も残っている。

世界遺産というTV番組を見ると「なんでこんなところに建物が?」って思うような岩のてっぺんにある建物とか崖にへばりついたような建物はまず間違いなく修道院である。

科学が発達していなかった時代に宗教というものが本当に大きな存在だったということがわかる。

宗教で国を統治していた

日本という国は元々神道で、八百万の神が信仰対象だった。天皇に関しても神道から来るものであり、仏教は不要だった。

それがなぜ仏教国になっているのか?であるが、これは仏教の方が国を統治しやすかったからである。

仏教は檀家制度でどこに誰がいるのかを把握しやすい。
八百万の神では人々が別々の神を信じることになるため、意見がまとまりにくいということにもなる。

そう、日本に仏教が広まった理由は権力者が日本を統治しやすくするためだったのだ。

日本におけるキリスト教弾圧

フランシスコ・ザビエルが有名だが、日本にキリスト教を布教しようと宣教師が来て一時的に九州でキリスト教信者が増えた時期があった。

それを徳川家康がキリスト教を禁止して弾圧したわけだがなぜそうしたのか?

それはヨーロッパの帝国主義がキリスト教を使って植民地を広げていたからである。

南米や中米のインカ帝国やアステカ文明に関して言うとわずかな兵力のスペイン人、ポルトガル人の侵略によって植民地化されているが、それはキリスト教の普及によって現地人がスペイン人側について戦った事が大きい。(他にも疫病の蔓延でトップが死んで混乱が起きたことなどもあるが)

この頃の日本は戦国時代で兵隊が非常に強く、その兵隊をキリスト教で手なづけて中国侵略のための兵としようという計画があったとか。(日本を植民地化しなかったのは兵が強すぎるのと植民地化しても大して儲からないと考えたから)

そんなヨーロッパの植民地化計画を察知してキリスト教禁止令を出してキリシタン大名を弾圧した。

新興宗教はコミュニティ

昔は救いを求めて宗教を拠りどころとしていたが、最近の新興宗教に関して言うとコミュニティとしての役割が大きい。

幸福の科学の大川隆法氏の息子がYouTuberになっているが語っていたのはイタコを信じている信者はあんまりいないということ。

ではなぜ幸福の科学に入っているのか?というと幸福の科学の人のつながりで仕事をしている人が多く、今更やめられないから幸福の科学を続けているとのことである。

他の新興宗教も基本的に救いを求めてというよりは修行という活動を一緒にする仲間を求めて入信する人が多いと思われる。

宗教はオンラインサロンへ

科学が発展した結果、これまでは神に祈るしかなかったことの大半が科学で解決するようになってきた。

疫病は医療の発展で死者を減らすことが出来るようになったし、天災も原理がわかり、神に祈ってどうこうするものでも無くなった。

結果的に人間は神を必要とすることが無くなってきている。

やれる努力をすべてやった後に、後は運さえ味方してくれればという段階になって神に祈るぐらいのレベルになっている。毎日祈って神に常に頼るという時代でははなくなった。

だが、宗教での繋がりが無くなった人々は孤独になってしまっている。

私も都会で働いていて感じるのだが20代も後半ぐらいになると一通り色々と遊んで経験した結果、飽きてくる。周りの人間がどんどん結婚していくことで遊び仲間も減り、孤独を感じるようになる。

30歳ぐらいになると仕事にも慣れて今後の人生これでいいのか?みたいな焦りを感じたりする。新しいことを取り入れないとという焦りみたいなのもあるし、孤独とも戦わなければならない。

こういう色々な悩みを抱えた時、その受け皿としての宗教がない現代で受け皿として機能しているのがオンラインサロンとなる。

面白いことをしたいという人々が集まっているのがオンラインサロンなので非常にみんなの成長への意識が高く、高め合える仲間が出来る。

西野エンタメ研究所やらホリエモンのHIUを始め意識の高いメンバーが揃っているオンラインサロンがたくさんあるが、こういったオンラインサロンに入る人は昔で言う修行僧だと思う。

面白いことをしたいというのと神に祈りを捧げたいということとで違いはあるが自分を高めて人々に奉仕したいという目的は同じだと思われる。

まとめ

宗教は科学の発展によりその役目を失っている。封建制度という権力者が統治しやすいシステムとしての宗教も資本主義という現代のシステムによって役目を終えた。

その結果、宗教でつながっていた人々がバラバラになり、拠りどころを求めてオンラインサロンに入るという流れになっている。

私はオンラインサロンに入らなくても、行きつけのスナックでのつながりで競馬仲間や釣り仲間が増えるので今の所いらない。行きつけのスナックが潰れてしまったらオンラインサロンを作って競馬仲間や釣り仲間を集めるかもしれないが…。

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